六角堂を創建した聖徳太子の千四百年大遠忌を記念し、いけばな資料館では特集展示「聖徳太子の伝記といけばな」を開催します。池坊総務所が所蔵する六角堂に伝わる太子ゆかりの絵像や彫像、太子に由来するいけばなの資料を公開します。
期間限定で公開する特別展示では、聖徳太子二歳像(南無仏太子像)や室町時代に描かれた聖徳太子像の他、太子と関連するいけばなを展示します。
特集展示
聖徳太子千四百年大遠忌を記念し、太子像や太子と華道にまつわる資料を一挙に公開します。特集展示
令和3年11月10日~令和4年10月末
特別展示
令和3年11月10日~11月15日 (旧七夕会池坊全国華道展)
令和4年3月25日~3月28日 (春のいけばな展)
令和4年3月25日~3月28日 (春のいけばな展)
開館時間 | 9:00~16:00 |
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入館料 | 無料 ※ 特別展示期間中は別途入場料が必要 |
休館日 | 土曜・日曜・祝日・年末年始・夏季休業期間 ※ 特別展示期間中は開館しています |
見学予約 |
見学は予約制です。下記よりご予約ください。 ※ 特別展示期間中は予約不要 |
アクセス |
京都府京都市中京区堂之前町248 池坊会館3階 ・地下鉄 烏丸線、東西線「烏丸御池(からすまおいけ)」駅下車、出口5番、徒歩3分 ・阪急「烏丸」駅、地下鉄「四条」駅下車、徒歩5分 ・市バス「烏丸三条」下車 徒歩 1分 |
ご注意 |
新型コロナウィルス感染症の感染状況により休館となる場合がございます。 いけばな資料館(池坊会館3階)入館時の新型コロナウィルス感染症の感染防止対策についてはこちら |
聖徳太子
聖徳太子(574~622/生没年は他の説もあり)は、日本が国としての形を整える上で大きな役割を果たした人物です。推古天皇・蘇我馬子と協力しながら国政を運営し、冠位十二階や十七条憲法などが具体的な業績として挙げられます。
また、海外にも目を向け、小野妹子を遣隋使として中国大陸に派遣しました。特筆すべきは、伝来してから数十年しかたっていない仏教を積極的に受容したことで、朝鮮半島から渡来した僧を師として理解を深め、日本で仏教が発展する礎を築きました。
また、海外にも目を向け、小野妹子を遣隋使として中国大陸に派遣しました。特筆すべきは、伝来してから数十年しかたっていない仏教を積極的に受容したことで、朝鮮半島から渡来した僧を師として理解を深め、日本で仏教が発展する礎を築きました。
髪を垂らした太子16歳の時の姿が描かれている。左手に持つ柄香炉が父である用明天皇の病気平癒を祈願することを表す一方、右手には笏を持ち世俗的な一面も表している。下部に従えているのは小野妹子や蘇我馬子らゆかりの人物で、上下の賛(さん)は救世観音について言及しており、観音の化身としての太子を描いた可能性が高い。
仏教の受容
6世紀に仏教が伝来すると、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋の間で争いがおこり、太子は蘇我氏側につきます。戦いは蘇我氏側が勝利し、仏教は広まっていきます。この戦いの際に太子はヌルデ(ウルシ科の落葉高木)の木で四天王像を作り戦勝を祈願し、四天王寺建立を誓ったと伝えられています。
排仏派の物部守屋を討つため、馬に乗り戦いに出向く太子の様子を表している。絵画に描かれることはあるが彫刻としては珍しい。右手に矢、左手には弓を持ち、風にはためく衣には躍動感が溢れる。通常は六角堂境内の太子堂に祀られている。
六角堂の建立
聖徳太子は、用明天皇2年(587)、十六歳の時、四天王寺(大阪市)建立のための用材を求め、京都盆地を訪れたといわれています。太子が池で身を清めるにあたり、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、念持仏がこの地に留まり人々を救いたいと告げたため、太子が六角形の御堂を建て安置したのが六角堂の始まりと伝わります。寺号の頂法寺は太子が建立した最頂(最初)の寺であることから付けられたといわれています。その後、隋から帰国した小野妹子が出家し六角堂に入り、花を立てるようになったことが、仏前供花の始まりとされています。
聖徳太子像は笏や香炉を持った姿が描かれることが多いが、この像は華道の伝書の巻物を持っている。江戸時代の絵像を写したものとされ、太子が華道の礎を作った人物として認識されていたことがうかがえる。
紫雲山頂法寺・六角堂の境内にある太子堂に掛かる額の元となった書。江戸後期の天台宗の僧・豪恕筆。
聖徳太子の伝記といけばな
聖徳太子の伝記は、平安時代の『聖徳太子伝暦』など数多く、史実と伝承が入り混じっています。数々の逸話のうち、いけばなと関係するものとしては、三歳の時、桃の一瞬の美しさよりも松の永遠性を選んだという話が挙げられます。池坊の立花では、松を真(中央に高く立てる枝)に用いる例が多く、聖徳太子の精神を受け継いでいるといえます。
16世紀前半に池坊専応がまとめた花伝書(池坊専応口伝)の内容を受け継ぎ、池坊専栄が永禄9年(1566)に相伝した花伝書の写本。序文に「色かへぬ松や檜原ハをのつから真如不変をあらハせり」とあるのは、常緑樹の松に永遠性を見いだした聖徳太子の認識と共通する。
江戸時代前期に描かれた『立花之次第九拾三瓶有』(池坊専好立花図、重要文化財)の写し。松のみで一瓶を構成する「松一色(まついっしき)」の立花で、常緑樹の松を賞した聖徳太子の精神が、格調高く表現されている。
生誕150年 山元春挙
滋賀県大津市生まれの山元春挙(1872~1933)は、京都画壇を代表する画家です。写生を重視し、雄大で明るい風景画を得意としました。植物画には洋風もとり入れています。池坊には、春挙の作品が数点伝わっており、今回そのうち2点を展示します。