室町時代の後半、全国各地の戦国大名が覇権を競った時代に活躍した家元が池坊専好(初代)です。
紫雲山頂法寺(通称 六角堂)の執行を務めた専好は、先代 池坊専栄から受け継いだ花伝書に加筆や花瓶図を加えながら、立花の大成に大きく貢献しました。特に砂物の技法を図を用いて詳しく記すほか、「一瓶一色之事」として蓮花・杜若・水仙・菊・松を挙げています。この頃砂物の大型化が図られ、一色物立花の原型が成立したと考えられています。
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専好は戦国大名の屋敷に度々花を立てたことも知られています。
時の最高権力者だった太閤豊臣秀吉が、大名邸へ「御成り」する際に座敷を飾る花を求められ、毛利輝元邸では松真の立花と鶏頭真の立花を立てていますし、前田利家邸では幅7.2mの巨大な砂物を立てた記録が見られます。そうしたことから武家との関係を構築していた様子が伺えます。
さらに専好は六角堂に集う町衆や周辺寺院の僧侶との関係を示すエピソードとして「百瓶花会」という展覧会を開催しています。その名の通り100名の弟子とともに飾られた立花は、誰でも見学できる開かれた展覧会だったことが伝えられており、弟子や町衆に慕われる人物であったと思われます。
また、茶人・千利休との交流も知られており、ある茶席に生けてある花を見ただけで“専好の花”であることを言い当てたという逸話も残されています。