現存する最古の花伝書『花王以来の花伝書』
その池坊の名が、いけばなの名手として初めて記されたのが寛正3年(1462)のことで、いけばなに関する記録として現在残る中では最も古いものです。
京都の名刹 東福寺の禅僧 太極の日記『碧山日録』の中に、「六角堂の僧侶 池坊専慶が武士に招かれて花を挿し、京都の人々の間で評判となった」と書かれました。
東山文化の興隆と共に、今日の日本建築に繋がる書院造が成立。その中で室町幕府の将軍 足利氏の同朋衆により「座敷飾りの花(=部屋を飾る花)」が整えられました。
これらの花は、いけばなのルーツとも言える仏様に供える花などとは明らかに異なっており、ここに日本独自の文化「いけばな」が成立したということが言えます。