いけばなの源流 |
飛鳥時代~南北朝時代
四季折々の花が咲く日本列島。「観賞する花」「神の依代」「仏前供花」… いくつかの要素が絡み合いつつ、いけばな成立の前提が整っていきました。
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いけばなの成立 |
室町時代(前期)
大陸からもたらされた唐物の器に挿す花の姿・形が工夫される中で「いけばな」が成立し、京都では六角堂の池坊専慶が披露した花が評判となりました。
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いけばな理論の確立 |
室町時代(後期)
花の名手として活躍した池坊専応は、技法のみならず思想的な面をも含むいけばな理論を確立し、花伝書を相伝するようになりました。
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立花の大成 |
安土桃山時代~江戸時代(前期)
大自然の姿を器の上に表現する立花という様式を大成した池坊専好(二代)は、朝廷や武家に重く用いられ、池坊の地位を揺るぎないものにしました。
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立花の普及と生花の成立 |
江戸時代(中期)
経済力をつけた町人たちの間に立花が流行する一方、簡略でかつ格調高い花形が求められるようになり、生花が成立しました。
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立花の革新と生花の流行 |
江戸時代(後期)
池坊専定が、理想的な樹形を作る「幹作り」による立花の革新、生花の伝授形態の整備などをおこなったことにより、池坊の門弟数は数万人規模に達しました。
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正風体の確立と投入・盛花の成立 |
明治時代~昭和時代
習いやすく教えやすい花形として池坊専正が定めた正風体がいけばな教育に導入される一方、生活の洋風化に応じるいけばなとして投入・盛花が成立しました。
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自由花の誕生と新風体の成立 |
戦後~平成
戦後、投入・盛花はさらに自由な表現が求められるようになり、形式をもたない自由花が誕生。広く人気を博し定着しました。また、当代家元の池坊専永は、生花新風体、続いて立花新風体を発表するなど、常に時代に適応したいけばなの探求に努めています
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今日のいけばな |
現代
いけばなを学ぶ人は海外にもひろがり、またいける場所も住空間だけでなく、屋外やステージなどさまざまな場所でいけられるようになりました。作品のみならずデモンストレーションなど、いけること自体への関心も高まっています。
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